中国出張/遊興/中国事情
55年前の今日、1966年7月16日文革勃発時、72歳の毛沢東、武漢の長江を泳いでみせる このとき国家主席は劉少奇である。つまり、政府にとっては無官の72歳老人が「崛起」したのだ。 文革により中南海から引きずり出された劉少奇は、3年後に虐待を受けながら死…
中国の作家、老舎の死(文革勃発直後に糾弾され死に追い込まれた)の日本への伝わりかたについて下記愚記事がある; ・老舎の死の日本への伝わり方; 水上勉、『こおろぎの壺』を読んだ。・ 老舎の死の日本への伝わり方 II; 水上勉、『北京の柿』を読んだ…
https://twitter.com/CGTNOfficial/status/1091954438153981952 ツイッターで知った。昨日2/3は老舎の誕生日で、今年は生誕120年。 なので、誰も指摘しない老舎に関すること(与太)を書く。 老舎研究に役立つはずの日本の公安情報が眠っているのではないか…
― その当時の中国共産党の中心は、上海と広東でした。ただし、中国革命のあとで書かれた中国共産党の公式党史は、すべて毛沢東中心に書かれています。- [1] 中国共産党発足メンバー13人とコミンテルン2人の計15人。 中国共産党第一次全国代表大会の様子を蝋…
世間では「暴力男がもてる」という認識が少なからず共有され、一方、謎解きも行われている; Google [暴力男 モテる] 箸をもち、にこにこして笑っている彭真の数か月後の運命は? 井上ユリ、『姉・米原万里 思い出は食欲と共に』(Amazon)より、無断転載。 彭…
たとえば、最近、この愚記事(①かっぱらい、麦 笛 の作製に失敗; ② 董 必 武 中共国家主席@法政大学卒を知る)へのアクセスが認められる。 ところで、おっさんであるおいらは、現況にも鈍くなったのであるが、スタート・アップという言葉を、ある界隈で、…
2013年秋 (愚記事より) 老舎は1966年8月24日に、今は埋め立てられてもうない、北京の太平湖に投身自殺し、翌25日早朝発見された。ちょうど50年前の今日だ。 清朝の旗本(旗人 [google])の息子[1]として北京に生まれた満州族の老舎は、抗日戦争中は北京を…
およそ六十年間にわたる公人としての生活の中で、私は周恩来よりも人の心をつかんで離さない人物に会ったことはない。 『キッシンジャー回想録 中国 (上)』 第9章 関係の再開 [愚記事] 本に書いてあることなので、とっくに公知なのですが、ネットにあまり…
(戦争拡大に)積極的だったのは、日本側では関東軍で、中国側では共産党だった。北岡伸一、 『日本の近代5 政党から軍部へ 1924~1941』 七夕といえば、盧溝橋事件の日である。 盧溝橋事件と柳条湖事件は、全然違う。柳条湖事件を起こしたまともな帝国主義…
2013年の北京参りにて [愚記事: 北京参り 2013] 北京の北西に円明園がある。天安門広場から10kmくらい。現在では地下鉄でいける [下記地図1参照]。円明園は「西洋楼遺址区の廃墟」として有名。 清朝の乾隆帝の時代に、円明園の東にイエズス会士のブノ…
まったくどうでもいいはなしです。 どうでもよくない唯一の理由があるとすればこんなことに言及しているネット情報が、この広いnet-sphereにないであろうこと。 1973年のまだ文化大革命(文革)が終焉していないが、すでに林彪が死んで、その文革の熱狂が醒…
やや古い話題になるが、お支那さま共産党による纪念中国人民抗日战争暨世界反法西斯战争胜利70周年大会[google]。 これを、そもそも中国共産党の紅軍=パーロ(八路軍)は日帝駆逐に効果的戦闘を行わなかったのだから、お支那さま共産党による抗日戦勝式典は…
痛いニュース: 安倍首相と習近平の字を比較した香港人が激怒 「漢字文化の真の継承者は日本だ」 日本でのネタソース: 「漢字文化を真に継承したのは日本国だ」と香港で評判に。 習ちゃんの字www ▼ 毛主席の筆跡と筆を執る様子 出典;毛澤東書信集 習近平さ…
もちろん、世の中をすべてを知ることはできない。多様・膨大過ぎるからだ。何か個別、特殊な「チャンネル」("世界"をのぞきこみ、知るための節穴)で以って"世界"の極めてわずかなことを知る。そのチャンネルとして、最近のおいらがのぞきこんでいるのが「…
「上海帰りのリル」を聴くと、四馬路(すまろ)は街の名であることがわかる。 Googleマップで、まずは、上海に行き、四馬路を検索すると、出ない。 出ることは、出る。でも、その表示された街は紹興。紹興にあるレストランの名前が、四馬路(すまろ)らしい…
最近の購書: 『北京を追われて』、江頭数馬; Amazon 昭和末期、柴田穗は、既に、「伝説」のjournalistであった(関連愚記事群)。 google [柴田穗] でも、当時はネットなぞない時代、札幌、仙台の古書店の"全ての棚"を見て歩いたような気がする(←おそらく…
先日愚記事で、- 日帝的鬼子、父との再会 - (でも、ぬっぽん父は役者不足ではないか!)と言った。 真打登場の可能性があったと昨日知った; 1978年、伊藤隆が岸信介にインタビューをして、その速記録を公開前にチェックしてもらった時の話が、伊藤隆、『…
- 日 帝 的 鬼 子 - 日本鬼子といえば支那人が我らにくれる 「尊称」 に他ならない。 極右のおいらは、日本鬼子という称号は、案外、好きである。 なぜなら、蛆虫、などという称号よりましな気がするからだ。 ぬんげんたるもの、同じ忌避されるのであれば…
(なお、愚ブログでの安倍ちゃんは、2005年8月1日から、既に、登場している。) 励まし合う二人; そんなにブーたれなくても...。でも、国内向けポーズです。 https://twitter.com/suga94491396/status/520507490358681600 ↑ 2014/10/10のつぶやき ↓ 2013…
ある紅梅; 仙台市青葉区、仙台市立博物館構内 NHKの支那通である加藤青延さんの講談師ぶりと紙芝居がネットで話題になっていたので、おいらもYouTubeでみた。 今の支那共産党の山場は虎狩らしい。すなわち、江沢民という大虎を習近平が退治する。 この権…
(上図の2005年の意味は、おいらが初めて中国に行った年という極私的なもの) 六四天安門事件は覚えている。この事件は日本社会への影響も大きかったと思う。今からは信じられないが、1980年代は7割の日本人が中国に親しみを感じていたのだ。ただし、この六…
― 「はい・・・・この柿は私どもがここに越してきた際に、ふたりで植えたものでございます。老舎は、柿が大好きでした」 ― 水上勉、『北京の柿』 ― 北京、豊富胡同の老舎故居、2013年10月 ― 文化大革命開始直後に紅衛兵に迫害されて老舎が1966年8月24…
文化大革命開始直後に紅衛兵に迫害されて老舎が1966年8月24日に死んだ。このことが日本にいつどのように伝えられたか調べている。1971年には「とりわけ老舎、巴金、趙樹里、田漢、曹禺らがどうしているのか、生死さえわかっていない」と書かれた…
(後記: 老舎は日本に何度来たのだろうか?の「正解」は別途こちらに記述) (詩文往還 作家と中国 張競)水上勉の街歩き(3) 苦難の人生慰めた厚い人情 [有料版へのリンク] 日本経済新聞を見た。日曜日に連載されている張競さんの「詩文往還」をみた。 …
相撲取りの世界の言葉(角界用語)で、恩返しという言葉がある。「大相撲における恩返しとはかつて世話になった者に勝つことである。 多くは入門時に世話になった、もしくは若い頃稽古をつけてくれた力士に対して用いる [wiki]」という意味らしい。 呉智英さ…
日没する処の天子さまからみて、おいらは、「腹がいっぱいになって暇になった外国人」である。腹はいっぱいではあるが、出世しそこなって所を得なかったので暇だ。だから、隣の国の「皇帝」さまの評伝・矢板明夫、『習近平 共産中国最弱の帝王』を読んだ。さ…
先日、最後の元老・西園寺公望のひ孫が日本人最初?の紅衛兵ではないか?と記事をかいた。 愚記事: 「みんなありがとう」 ぼくは..。日本人最初?の紅衛兵、最後は孔子さまに到る、あるいは公望の成果 違うかもしれない。 1966-1967年、北京には150人の日本…
宋彬彬さん@現在 ア メ リ カ 人、65歳 通名:宋要武さん@人 殺 し 産経新聞社記者=北京=矢板明夫氏記事:「文革の元紅衛兵、相次ぎ謝罪 背景に習政権の毛路線模倣への懸念」(現在リンク切れ;コピペは最下部に)[1]より、勝手に転載。 もっとも、中国…
日中国交「回復」のために北京に行った田中角栄は毛沢東と会った。1972年9月27日だ。日本の総理大臣である田中角栄の中国側のカウンターパートナーは周恩来である。だから、 中国の国家の(事実上の [1])元首である毛沢東との会見は「表敬訪問」となる。毛…
左 [2005年:中国出張① 北京に着いた]、中[2006年: 定点観測 -北京出張2006 ⑤-]、 右[2013年] この通りが「人民大学南路」であると初めて知る。昔はこんな通りの名称を示した標識はなかった。 2006年 (関連愚記事:北京2005, 2006、あるいは、いつか見た青…